江戸相撲で十両まで出世した「越川」は、門出の久四郎さんの出身である。足の親指とりの名人で、ぐんぐん出世したが、親指をとるとき指が土につくからと相撲界で問題化し、禁止されたという。
 たまたま、信州松本で東京、大阪、両大相撲の対抗戦が挙行された。このとき大阪側に「離れ駒」という機敏の力士がいた。この離れ駒の対戦相手がなかなか決まらず、最終的に越川に白羽の矢がたった。越川は「封じられている親指とりを許せば、勝ってみせる。」というので、特別に容認されることになった。
 いよいよ本番、土俵上は沸きに沸いたが、越川が何回も待ったをかけるので、とうとう離れ駒は怒ってしまった。越川は”機は熟せり”と立ち上がるやいなや、足の親指をとって仰向けに倒してしまった。
 そのままならよかったが、馬乗りになって離れ駒の尻を叩いたので、離れ駒は苦虫をかみつぶした様な顔をして土俵を降りたと伝えられている。
 その夜、大阪側から「関取の腕前には感服した。一献差し上げたい。」ということになって、料理屋に招待された。大変なご馳走をいただいたが、その後まもなく越川は急死してしまった。このため、死因について「あるいは・・・」との噂が囁かれた。
越川のお兄さんの熊蔵さんは、両国の国技館へ出入りを許されていたので、ここで弓取りを覚えて帰られた。これが現在まで伝えられている門出相撲の弓取り式となって続けられている。

門出相撲は、現在門出寄角力大会(よりずもうたいかい)と呼ばれ、毎年8月16日に門出神社境内で行われます。草相撲としては珍しく本格的な儀式も残されており、毎年第24代式守伊之助氏を迎え盛大に行われています。

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江戸相撲の越川(門出地区)